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日本許認可センター 山内 写真こんにちは。山内隆司です。日本許認可センターのホームページをご覧いただき、どうもありがとうございます!

日本許認可センターは、代表である私のほか、創立者である父、常男と、事務担当の母、昇子の3人で運営しています。

今後は、私のみならず、父や母も、あなたとお目にかかる機会があろうかと思います。ですからこの機会に、私たち一家について、そして日本許認可センターのこれまでの歩みについて、ほんの少しだけご紹介させていただきます。

少しでも分かりやすくお伝えするため、プロのライターさんにお願いして、インタビュー形式にまとめました。
どうか、今しばらく読み進めていただけるとうれしく思います。

■  家族で力を合わせて37年 日本許認可センターのあゆみ

日本許認可センター 事務所のあゆみ集合写真

昭和54年に開業以来、37年以上にわたって巣鴨で営業を続ける行政書士法人日本許認可センター。同センターの創業者であり、平成18年まで代表を務めていた山内常男氏(写真左)と、常男氏の長男で現・代表の山内隆司氏(写真中央)に、創業時のエピソードや37年間に培われた強み、これからのビジョンを聞いた。
もくじ 
  1. 許認可センター立ち上げのいきさつ
  2. サッカーとバイクに夢中だった学生時代
  3. 家族を守るために
  4. 善良な建設業者が増えれば、社会はもっと良くなる


■ 許認可センター立ち上げのいきさつ

― はじめに、前代表であり、お父様の山内常男さんに質問します。日本許認可センター立ち上げのきっかけを教えてください。 

日本許認可センター 父 写真事務所を立ち上げたのは、昭和54年、39歳の頃でした。

私は18歳の頃に故郷の宮城県から上京して以来、行政書士の仕事に出会うまでに、溶接工や学習塾、化粧品販売、露天商…と、30種類もの職を転々としていました。ところが30代後半に行政書士の仕事に出会って、これこそが自分の天職だと感じたのです。その後すぐに行政書士試験を受験し、開業に至りました。開業資金は7万円。女房の昇子の手を借りながら、どうにかこうにか営業を始めました。

私にとってこの仕事は、本当にやりたいことだったので、何ひとつ苦労に感じることはありませんでしたが、家族にはずいぶん経済的な負担をかけたと感じています。当時すでに、隆司と、姉の知子という2人の子どもがいたにもかかわらず、収入は不安定でしたから、女房は内心、言いたいことがいろいろあったと思います。それでも黙ってついてきてくれたことに、今でもとても感謝しています。

― 当時から、建設業許可に特化した仕事をされていたのでしょうか。

そういうわけではありません。事務所の名前も、開業当初は「山内常男事務所」でした。ただ当時は、現在のような建設業の許可制度がスタートして間もなく、建設業許可申請の需要が多かったので、自然と業務に精通していったのです。

― 事務所を開業したのは、現在の代表であり、長男の隆司さんがまだ幼稚園に通っていた頃です。隆司さんは、当時のことを何か覚えていますか。

日本許認可センター 山内 写真父は「いつも忙しい人」という印象でした。私が起きる時間には、仕事に出かけていましたし、夜も、起きている時間に戻ってくることはめったにありませんでしたから。

経済的に苦労があったと言いますが、私は物心ついたときから水泳を習わせてもらったり、誕生日には欲しいおもちゃを買ってもらったりと、悲しい思いやみじめな経験をした記憶がありません。きっと、子どもには苦労を感じさせないよう、配慮してくれていたのでしょう。

今でもよく覚えていますが、毎日朝の7時半になると、母に手を引かれて、隣の家の幼なじみの家に預けられていました。その家のお母さんに、一緒に幼稚園に連れて行ってもらい、園が終わったら、またその子の家で遊びます。そして夕方4時になると、母が迎えに来てくれて、家に帰っていました。小学校のときは、首から家の鍵をぶらさげた、いわゆる「カギっ子」でした。

日本許認可センター 山内家昔の家族写真



■ サッカーとバイクに夢中だった学生時代

― 小さい頃から「将来はお父さんの仕事を継ごう」と思っていたのでしょうか。

いいえ、全く。高校生ぐらいまでは「うちの親父は、何かの事務所をやっているらしい」というぐらいの認識でした。当時は学校でサッカー部のキャプテンを任されるなど、勉強よりもスポーツや遊びに一生懸命だったこともあり、成績はひどかったです。いざ高校受験、という時期も、偏差値がたったの28しかなかったほどです。1年間、必死で勉強して、やっとの思いで大東文化大学第一高等学校に入ることができました。

ところが高校では、バイクにハマってしまい、学校に内緒で免許を取って乗り回す有様でした。そんな調子でしたから、将来に対するビジョンなどありません。勉強も相変わらずできなかったので、大学進学もしませんでした。高校を卒業した後は、チェーンのコーヒー屋さんでアルバイトをしていたんです。

― その後、お父様の仕事を手伝い始めたのはなぜですか。

新しいバイクが欲しかったからです。90万円もしたので、コーヒー屋の時給では、いつまでたっても買えません。そこで父の事務所なら、少しは割がいいんじゃないかと思ったんです。20歳を少し過ぎたころの話です。

― 仕事を始めて、その面白さに気がついたのでしょうか。

いいえ。しばらくはバイト気分で、ただ言われたことをこなすだけでした。行政書士の試験を受けたりもしましたが、本気で取り組んだわけではないので、受かるわけがありません。

仕事への意識が変わったのは、私が22歳のころ、父がC型肝炎で入院したことがきっかけです。「もしもこのまま、父がいなくなってしまったら、母、そして姉はどうなってしまうのだろう」「今のように中途半端な仕事しかしていない自分には、どうすることもできない」と気づいたんです。そこで、本気で行政書士を目指そうと決意しました。

― 行政書士試験に受かったのはいつのことですか。

平成14年、28歳のころです。それまでに8回チャレンジして、これが最後と思って挑んだ試験でした。

もともと勉強は苦手でしたから、行政書士試験には苦労するだろうとは思っていました。でも今思えば、不合格だった8回は、勉強しているようでいて、できていなかったんでしょうね。

不合格が何年も続いた27歳のある日、急に不安になったんです。「俺はこのまま30歳になって、本当に大丈夫なのか?」と。

このまま、父の会社でバイトを続けていたら、いつまでも安月給だし、資格もないままです。おそらく結婚もできないでしょう。

そこで、もしもこの次で受からなかったら、父の事務所は辞めて、トラックの運転手になろうと腹をくくりました。それまで吸い続けていたタバコをきっぱりやめ、仕事をしながら1日10時間ほど勉強をし、ようやく合格できたのです。

■ 家族を守るために

― 平成18年に、お父様に代わって隆司さんが代表に就任しましたが、この時期に代表を交代したのには、何か理由があったのでしょうか。

当時は売上が下降線をたどっていて、開業以来いちばん苦しい時期でした。そのうえ、私は結婚式を挙げたばかりだったんです。

私は、人生これからというときに、家族に経済的な不安を感じさせていることが無性に悔しかった。この先も行政書士として食べていくためには、今までと同じやり方ではいけない、すべてを思い切って変えなければ、家族を守れないと思ったんです。そこで父に、自分に代表をやらせて欲しいと伝えました。

日本許認可センター 山内家族写真


日本許認可センター 父写真それまでの私は、何としてでも事務所を拡大したいという思いがあったので、たとえ手続き完了後に代金を支払ってくれないお客様がいても、強く催促したり、取引をやめるといったドライな対応が取れなかったのです。今となっては、これは自分の弱さだったと思います。

隆司とはこの点について協議をし、それ以来、手続きは前金制で、入金を確認後に着手、という姿勢を徹底することにしました。

日本許認可センター 山内 写真事務所の生き残りをかけて、さまざまなことにチャレンジしました。

それまでは行政書士として幅広い業務を手掛けていましたが、事務所の名前を「日本許認可センター」とし、完全に建設業許可業務に特化しました。ホームページも整備をし、インターネットに広告を出すようにしました。

試行錯誤の甲斐あって、今では建設業許可専門の行政書士として、年間に2000件ほどのお問い合わせを頂戴するようになり、申請実績も10,000件を超えるようになりました。

これだけの数をこなしていますので、建設業許可に関しては、あらゆるノウハウ、パターンを蓄積していると自負しています。お客様には「この条件では許可がとれる・とれない」ということだけでなく「どうしたら許可をとれるのか」を、最も無駄のない方法でご提案できるのは、私どもの最大の強みです。

― お父様にお聞きします。隆司さんが事務所を継ぎたいと言ったとき、どう感じましたか。

とてもうれしかったです。私はずっと女房と一緒に働いてきましたから、女房にはいつか、何か形に残るものをプレゼントしたいと思っていたんです。隆司が行政書士になって、事務所を継いでくれたことで、その夢が叶えられたと感じます。

日本許認可センター 父写真


■ 善良な建設業者が増えれば、社会はもっと良くなる

― 日々、建設業許可申請の業務に、どんな思いで取り組んでいますか。

日本許認可センター 山内写真建設業は、住まいはもちろん、レストランや商店、学校など、私たちの生活に欠かすことのできない「衣食住」すべてにかかわっています。もし世の中に、一生懸命、誠実に仕事をする建設業者が増えれば、それだけ私たちの生活が良くなるはずです。

建設業許可は、世の中のものすごく小さな分野ですが、仕事を通して確実に、社会に貢献できているという手ごたえを感じています。ですからこれからも私たちは、仕事を一生懸命に頑張っている、善良な建設業のお客様のお力になりたいです。

― 今後の目標をお聞かせください。

現在私たちが対応できるお客様は、東京を中心に、神奈川、埼玉、千葉など関東の一部の方だけです。しかしこの1~2年は、関西や東北など、それ以外からの地域のお客様からのお問い合わせも増えてきています。

私は近い将来、私どもが30年間で培った建設業許可申請に関するノウハウを、全国各地の熱意ある行政書士と共有し、全国どの地域にお住まいの方にも、日本許認可センターと同等の品質のサービスをご提供できるようにしたいです。

日本許認可センター 打ち合わせ風景




※ 取材日時 2009年2月
※ 聞き手 カスタマワイズ


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